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旭川地方裁判所 昭和51年(ワ)267号 判決 1979年8月06日

原告

佐々木修

ほか一名

被告

河津廣一郎

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告ら

1  被告は、原告佐々木道代(以下「原告道代」という。)に対し、金三一五万九、八一〇円及びこれに対する昭和五〇年六月一二日より支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告佐々木修(以下「原告修」という。)に対し、金二六一万九、一三五円及びこれに対する昭和五〇年六月一二日より支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、被告の負担とする。

との判決並びに右1及び2の項について仮執行の宣言を求める。

二  被告

主文と同旨の判決を求める。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

(一) 訴外佐々木勝人は、昭和五〇年六月一二日午前一一時三〇分ころ、普通乗用自動車(大分は九四一五号、以下「被害車両」という。)の後部座席に原告道代を同乗させ、右自動車を運転して、福岡県久留米市内の国道二一〇号線を日田方面より久留米市内方面へ向け進行中、同市善導寺町飯田三九二番地の一先交差点の手前において、対面信号の赤色灯火の表示に従い一時停止していたところ、被告が運転する普通乗用自動車(大分五五ね一八三〇号、以下「加害車両」という。)に追突された(以下「本件事故」という。)。

(二) 原告道代は、本件事故の当時、妊娠九か月(出産予定日は同年七月二一日)の身重であつたところ、右事故により身体に衝撃を受け、そのため子宮内で胎児が死亡し、同年六月二〇日鵜池産婦人科医院において女児を死産した。そして、原告道代は、右同日より同月二九日まで九日間同医院に入院し、次いで、同月三〇日目達原整形外科病院に通院し、更に、同年七月一一日までの間に三日間右鵜池産婦人科医院に通院した。

2  責任原因

被告は、本件事故の当時、加害車両を所有し、これを自己のため運行の用に供していたものである。

3  損害

(一) 原告道代の損害

(1) 医療費 金七万八、七五〇円

原告道代は、鵜池産婦人科医院に対して金七万七、〇〇〇円、目達原整形外科病院に対して金一、七五〇円の各医療費を支払つた。

(2) 入院雑費 金四、五〇〇円

原告道代は、前記入院九日間について、一日当たり金五〇〇円の割合による合計金四、五〇〇円の雑費の支出を余儀なくされた。

(3) 付添看護費 金一万八、〇〇〇円

原告道代の右入院期間中、同人の母がその付添看護に当たつたところ、その間に要した費用は、一日当たり金二、〇〇〇円の割合による金一万八、〇〇〇円を下らない。

(4) 休業損害 金四万七、八五〇円

原告道代は、後記(5)のとおり、本件事故の当時、短大の卒業歴をもつ二六歳の健康な家庭の主婦で、家事労働に従事していたところ、右の入通院加療に要した合計一三日間は、右労働に従事することができなかつたので、この間の休業損害は、昭和四八年度賃金センサスによる同年齢、同学歴の女子労働者の平均年間収入である金一三四万三、五〇〇円を三六五で除した数に、右の一三を乗じた金四万七、八五〇円となる。

(5) 慰謝料 金三〇〇万円

原告道代は、佐賀女子短大を卒業したのち、昭和四八年三月一二日原告修と婚姻し、同年一二月二一日長男修一をもうけ、円満な家庭生活を営んでいたところ、前記のとおり、本件事故により、胎内で九か月までに順調に成育していた胎児を死産したものであり、今後不妊のおそれすらある。これにより、原告道代は、長女の死亡にも比肩し得べき肉体的、精神的苦痛を被つたので、右苦痛を慰謝するには、金三〇〇万円が相当である。

(二) 原告修の損害

(1) 密葬費 金五万円

原告修は、死産した胎児を密葬するため、金五万円の支出を余儀なくされた。

(2) 慰謝料 金三〇〇万円

原告修は、大分県の高校を卒業したのち、昭和四二年自衛隊に入隊し、同四九年三月北海道名寄市に転勤したもので、妻の妊娠後、その安産を願い、同五〇年五月、原告道代を実家へ帰らせ、第二子の出生を期待していたところ、前記のとおり、妻が死産したものであるから、原告道代と同様の精神的苦痛を被つたものというべく、これを慰謝するには、金三〇〇万円が相当である。

(三) 損益相殺

原告らは、本件事故に対する補償として、自動車損害賠償責任保険より金四三万〇、八六五円の給付を受けたので、これを原告修の前記損害に充当する。

4  請求

よつて、被告に対し、いずれも自動車損害賠償保険法第三条本文の規定に基づき、原告道代は、前記3の(一)の項の損害合計金三一五万九、八一〇円及びこれに対する本件事故発生の日である昭和五〇年六月一二日より支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の、原告修は、前記3の(二)、(三)の差引損害合計金二六一万九、一三五円及びこれに対する前同様の遅延損害金の、各支払を求める。

二  請求原因に対する答弁

1  請求原因1の(一)の事実は認める。

同1の(二)の事実中、原告道代が本件事故の当時妊娠中であつたこと、同人が原告ら主張の日に女児を死産したことは認めるが、その余は争う。右死産と本件事故との間には相当因果関係はない。

2  同2の事実は認める。

3  同3の事実中、原告らがその主張のような保険給付を受けたことは認めるが、その余は争う。

第三証拠関係〔略〕

理由

一  請求原因1の(一)の事実(本件事故の発生)並びに右事故の際に被害車両の後部座席に同乗していた原告道代がその当時妊娠中であつたこと及び原告道代が原告ら主張の日に女児を死産したことは、いずれも当事者間に争いがない。

二  そこで、本件事故と原告道代の右死産との相当因果関係の存否について判断する。

1  まず、原告道代の妊娠及び死産の経過について検討する。

いずれも成立に争いのない甲第一、第二、第四、第一一号証、乙第二号証、原本の存在並びに成立に争いのない甲第九号証の一、二、第一〇号証、証人鵜池半蔵、同阿部博、同坂田フミの各証言及び原告道代の本人尋問の結果を綜合すると、

(1)  原告道代は、昭和二三年九月一三日生れの通常の健康体を保持した女子で、同四八年三月一二日原告修と婚姻して夫婦となり、同年一二月二一日長男修一を正常分娩したのち、同四九年三月、夫の転勤に伴い家族で九州より北海道名寄市に転居し、円満な家庭生活を営むうち、同年一〇月一四日を最終月経の初日として第二子を妊娠した。原告修は、自衛官として勤務し、健康状態に特に問題となるところはなかつた。

(2)  そして、原告道代は、同年一二月一二日を初診日とし、それ以降妊娠七か月目に入つた昭和五〇年四月二四日までの間、名寄市立総合病院において、毎月定期妊婦検診を受けたが、右七か月検診時において、子宮底及び腹囲の各測定値が標準より少な目であるほかは、血圧、梅毒血清反応、尿蛋白、尿糖及び下肢浮腫の各検査結果では、いずれも異常所見はみられず、児心音も正常であつた。

(3)  しかし、後記のように九州へ帰郷するに先立ち、同年五月一四日名寄中央病院で受けた八か月検診時においては、血圧、尿蛋白、尿糖及び下肢浮腫の各検査で異常所見は認められなかつたが、子宮底及び腹囲の各測定値は、やはり標準を下まわり(八か月妊婦の子宮底の標準値は約二七センチメートルとされているところ、原告道代の場合は二三センチメートルであつた。)、児心音も弱い感じであつた。そこで、担当医師坂田フミは、胎児の発育不良を疑い、その旨原告道代に説明し、母子健康手帳にも、「腹囲増加せず、心音弱し」との記載をとどめた。

(4)  原告道代は、出産予定日とされている同年七月二一日を間近かにひかえ、佐賀県三養基郡上峰村の実家で出産準備をするため、同年五月一八日空路で帰郷した。次いで、同月二〇日、さきに長男を出産した佐賀市内の鵜池産婦人科医院において受診したところ、担当医師鵜池半蔵は、原告道代の子宮底及び腹囲は緩漫な伸びをみせてはいるが、なお標準値より少なく、妊婦の体重も格別の増加がないところから、胎児の発育はかなり遅れており、正常範囲の下限くらいだろうとの印象を持つた。もつとも、血圧等の検査結果は正常で、児心音及び胎動も特に異常というわけではなかつた。そして、同年六月六日、鵜池医師より再度検診を受けたが、その際、児心音及び血圧等の検査結果に異常はなかつたものの、原告道代より、最近胎児の動きが少し弱いようだとの訴がなされ、子宮底及び腹囲の各測定値も前回と大差がなかつたため、同医師は、原告道代に対し、胎児の発育がかなり悪いように思うから、生活態度を節制して体を大事にするようにとの助言を与え、また、骨盤位(さか子)を正常位にする措置をとつた。

(5)  ところで、原告道代は、本件事故が発生した同月一二日、姉の病気見舞のため、列車で佐賀より大分まで行き、その帰路、義兄の佐々木勝人が運転する被害車両の後部座席中央に同乗中、右事故に遭遇したものである。そして、右被害車両が信号待ちで停車中のところ、加害車両に不意に追突されたため、その衝撃で、原告道代は、上半身が前かがみになつて倒れ、前部座席の背もたれに両手をついたが、腹部には直接的に何らの打撃も受けなかつた。しかし、間もなく、腰にキユーンとくるような痛みが走り、腹部にも締めつけられるような痛みを覚えるとともに、胎児が胎内で急に突き上げるような蹴り方をし、そのような胎動が一、二時間続いた。

(6)  その後、腹痛や子宮出血はみられず、他に普段と異なる自覚症状もなかつたが、原告道代は、右事故による影響が心配になつたので、妊娠九か月目に入つた同月一四日、鵜池医師に対し、右事故の状況を説明し、診察を求めたところ、腹部等に打撲傷の所見は全くみられず、児心音、胎動感等にも特に異常は認められなかつた。そして、同医師より、一〇日位無事に経過すれば大体は大丈夫だろう、もし胎児の動きや出血等の異常があれば直ちに来院するようにと言われ、しばらく推移をみたところ、同月一七日午後三時ころ、急激に突き上げるような胎動が二回ほどあり、その後は胎動自覚が消失した。そこで、原告道代は、同月一九日、近くの助産婦に診てもらつたところ、胎児胎内死亡の疑いがあると言われ、同日鵜池医師の診察を受けた結果、トラウベ聴診法及び超音波ドツプラー胎児心拍聴取装置によつても児心音が認められず、胎児心拍の消失が確認されたので、胎児胎内死亡との診断がなされた。そして、原告道代は、翌二〇日、鵜池産婦人科医院に入院し、鵜池医師より人工陣痛誘発法を受けたところ、間ななく女児の死産児を骨盤位で娩出した。

(7)  右死産児は、鵜池医師の所見によると、体重は一、四五〇グラムで、いわゆる浸軟児の所見が著明に認められ、羊水中での自己融解によつて児組織、殊に頭部が著明に軟化し、皮膚は特有な汚褐赤色を示し、至る所に表皮剥離がみられ、関節及び筋肉は全く弛緩し、死後少なくとも二、三日は経過していると判断された。また、久留米大学医学部教授原三郎は、被告に対する業務上過失傷害被疑事件において、捜査機関より、胎児の死亡推定日時等の鑑定を嘱託され、同月二四日、右死産児を解剖したところ、腐敗が進行しているため正確性は保し難いとしつつも、右解剖時において死後およそ四、五日内外を経過しているとの判断を下した。

以上の事実が認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定の事実によると、原告ら夫婦の第二子として原告道代が妊娠した胎児は、受胎後それなりの成育をしていたところ、妊娠九か月目に入つた昭和五〇年六月一七日ころ、すなわち、本件事故が発生した日より五日目のころ、原告道代の子宮内において死亡したものと認めるのが相当である。

2  そこで、進んで、右の子宮内胎児死亡と本件事故との相当因果関係の存否を検討する。

(一)  前顕甲第一一号証(以下「鵜池意見」として引用する。)、同乙第二号証(以下「原鑑定」として引用する。)、証人鵜池半蔵、同清水哲也の各証言及び鑑定人清水哲也の鑑定結果(以下「清水鑑定」として引用する。)を総合すると、分娩前の子宮内胎児死亡の原因については、現在、医学的に完全に解明されているとはいえず、様々な要因があげられており、母体側の原因と、胎児側の原因とに大別されるところ、前者の要因としては、(1)全身偶発合併症(心不全、腎不全、急性感染症、真性糖尿症、急性中毒など)、(2)局所偶発合併症(脱落膜子宮内膜炎など)、(3)妊娠の異常(妊娠中毒症、子宮外妊娠、子宮破裂など)、(4)母体環境の異常(放射線被爆、腹部外傷、薬物誤用など)が、また、後者の要因としては、(1)胎芽又は胎児の異常(遺伝性疾患、染色体異常、奇形、多胎妊娠、胎児の先天性子宮内感染症、胎児赤芽球症など)、(2)胎児附属物の異常(胞状奇胎、羊水異常、胎盤異常、臍帯異常など)が指摘されていること、そして、右の要因は、胎児の死亡時期によつても異なり、妊娠八か月以降の子宮内胎児死亡の要因として報告されているものは、妊娠中毒症による胎盤機能不全(胎盤異常)及び臍帯の過捻転等による臍帯循環障害(臍帯異常)が最も多く、そのほか、前置胎盤、母体側の合併症としての急性腹部症、事故による循環不全シヨツクなどがあるが、その大半は医学上原因不明とされていることが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(二)  そこで、右に認定した医学的知見に基づいて、本件の子宮内胎児死亡の原因を審究するのに、まず、母体側の原因のうち、全身ないし局所の偶発合併症及び妊娠中毒症の存在は、さきに認定した定期妊婦検診の結果等に照らし、これを否定するに足りるし、また、母体環境の異常要因としての放射線被爆及び薬物誤用の点も、これを認めるに足りる資料は存しない。そして、母体環境の異常要因のうち、本件事故そのものによる母体の腹部外傷等の点については、後記(四)の項において改めて検討することとして、それ以外にも右要因を想定できないわけではない。すなわち、前記1の項の認定事実からすると、原告道代は、胎内の胎児の発育がかなり遅れていることは十分認識していた筈であり、それだけに、一層、平素の生活態度に細心の注意を払うべきであるところ、妊娠八か月余の身重で北海道から九州まで旅行したうえ、妊娠九か月の事故当時においては、佐賀から大分まで旅行し、その帰途、自動車に同乗中、本件事故に遭遇したというのであつて、このような点からすると、鵜池意見も指摘するように、原告道代の右事故以前における日常生活において、母体がそもそも十全な環境に保持されていなかつたのではないか、との疑念は、にわかに払拭し難いところである。

(三)  次に、胎児側の原因として考えられる要因のうち、前認定事実に照らし、一応捨象できる遺伝性疾患は除外するとしても、その余の何らかの要因の存在を疑い、胎児ないし胎児附属物に何らかの異常があつたのではないかと推測することは、以下に述べるごとく、十分な合理的根拠があるものとしなければならない。

(1) まず、前記1の項の認定にみるとおり、原告道代の定期妊婦検診において、子宮底及び腹囲の各測定値は、一貫して標準値より少なく、妊婦の体重にも格別の増加がみられず、児心音も弱い感じを与えるなど、胎児の発育不良がかなり懸念されていたところ、果たせるかな、原告道代の娩出した死産児は、その体重が一、四五〇グラム、身長が四二・五センチメートル(右身長の点は、原鑑定によつてこれを認める。)であつて、右死産児と同じ在胎三五週の新生女児の平均体重が二、二〇〇ないし二、四〇〇グラム、平均身長が四七・二センチメートルであること(清水鑑定によつてこれを認める。)に比し、発育が大幅に遅れていたことは明らかである。右胎児は、仮に産月において出生したとしても、その体重が、未熟児の上限とされる二、五〇〇グラムには到底達しなかつたであろうと、鵜池医師が証言する所以である。

(2) 次に、臍帯異常の点についてみると、鵜池意見には、前記死産時において臍帯の形成不良やてん絡はみられなかつた旨述べられているが、右所見は、まだ死因をめぐる問題が提起されていなかつた死産児処理の段階における一応の外部観察にすぎないとも考えられるし、また、原鑑定によれば、最も重要な胎盤及び胎盤側に附属する臍帯の異常を確認する資料がない以上、臍帯異常の有無は決し難いこととされている。

(3) 更に、胎盤については、その唯一の目撃者である鵜池医師は、妊娠月数に比して標準よりかなり小さい感じであつた旨証言している。そして、右証言のとおりとすると、本件死産児の胎盤重量はかなり小さかつたものと推認されるところ、その原因について、清水鑑定は、この点につき医学的に考えられる関係疾患、すなわち、糖尿病、エリテマトーデス、慢性中毒症、慢性腎炎、胎盤不全症候群(胎盤機能不全)などのうち、最後の疾患が最も強く疑われる旨指摘し、鵜池意見も胎盤機能不全を有力な要因として掲げている。また、一般的に言つても、右の胎盤機能不全が、妊娠後期の子宮内胎児死亡の原因として最も重要な要因とされていることは、前記(一)の項に認定したとおりである。

(4) 一方、原鑑定は、前記死胎解剖時における肺胞等の組織学的検査の総合所見に基づき、胎児死亡の直接的な原因として、胎児が胎内で呼吸運動を惹起し、そのため羊水を吸引して窒息死を来たしたものと推論し、証人清水哲也は、右推論は可能性として否定できない旨証言している。しかし、何故このような呼吸運動ないし羊水吸引を開始したのかとの点については、鵜池医師は、原告道代には精神的に過敏な体質的素因があつて、事故の衝撃により瞬間的に臍帯の血行不全が招来され、胎児が羊水吸引を起こした旨証言するけれども、原鑑定によると、一般には、胎盤の機能不全又は臍帯異常のため、臍帯の血行が障害もしくは杜絶され、それが刺激となつて胎内で呼吸運動が開始されることが考えられるが、本件では、そのいずれとも断定できない旨記述されており、証人清水哲也も右同旨の証言をしている。

(5) 以上検討したところに従つて考える限り、本件の子宮内胎児死亡の原因そのものを医学上一義的に確定することはかなり困難であるというほかはないが、いずれにせよ、右死因が、胎児ないし胎児附属物の何らかの異常に起因するものと推認できる蓋然性は、きわめて高いといわざるを得ない。

(四)  そこで、翻つて、本件事故が前記の子宮内胎児死亡という結果に及ぼした原因性の有無、程度について考察する。

母体腹部の外傷が、右の子宮内胎児死亡の原因として、医学的に全く理由のないものでないことは、前記(一)の項にみたとおりである。また、前掲甲第三号証によれば、鵜池医師は、右死亡原因が本件事故である旨の昭和五〇年八月二九日付診断書を作成していることが認められるところ、原告らに対し、その主張のような保険給付がなされた(この点は当事者間に争いがない。)のは、右診断書の記載によるものと推測する余地がある。たしかに、それまで曲りなりにも成育の認められた胎児が、本件事故のわずか五日後という比較的接着した時期に死亡したという事実並びに右事故直後に母体が腰痛及び腹痛を感じ、かつ、急激な胎動があつたという事実を直視する限り、そこに因果関係の存在をみてとることは、まして胎児を失つた父母にとつては、情において無理からぬものがある。そして、本件事故が一つの条件を与えた可能性までも全く否定することは、ひつきよう、経験則違背の問題に逢着せざるをえまい。

しかしながら、この点について、以下のごとく、なお具に検討を加えてみると、通常人の判断に照らして考える限り、本件事故による衝撃が十中八、九まで前記の結果発生の原因となつたものと断定することは困難であるというほかはない。

(1) 清水鑑定によると、一般に、子宮内の胎児は、羊水中に浮遊した状態にあり、母体組織そのものが有する緩衝効果と相俟つて、外力ないし外的刺激に対してはかなりの安全性が保たれていること、従つて、医学上、こうした外力ないし外的刺激が子宮内胎児死亡の原因であると断定できる場合はきわめて少なく、むしろ、腹部を強く足蹴りされて子宮破裂を来たしたようなごく稀な場合に限られるとの医学的見解があることが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(2) そして、証人清水哲也は、右の見解に全く同感であり、自分では今までにかかる臨床例に遭遇していない旨証言し、原鑑定中にも、右同旨の記述がみられる。更に、原鑑定においては、母体の腹部打撃によつて、もし何らかの異常を生じるとすれば、それは、胎児が死産児として娩出するという経過をとるよりも、むしろ、受傷後間もなく陣痛がおこり、流産ないし早産を来たすという経過をたどるのが通例である旨述べられている。そして、清水鑑定は、以上にも引用した同医師の所見を総合したうえでの結論として、本件事故のみによつて原告道代の胎児死亡が発生したとする直接的ないし一義的な因果関係の立証は困難である旨断定している。

(3) また、前掲甲第三号証の記載についてみるに、その作成者である鵜池医師の真意が、本件事故が胎児死亡の原因のすべてであるとの趣旨ではなく、むしろ、本件胎児が生活力の薄弱な発育の遅れた胎児であつたことをきわめて有力な動かし難い前提として、かかる前提があればこそ、本件事故程度の衝撃でも不幸な結果が招来されたのであろうと推論する趣旨であることは、同人の証言及び鵜池意見を全体としてみれば、自ずと明らかである。従つて、右記載を採つて以て原告ら主張の因果関係を裏付ける資料とすることは相当でない。

(4) そして、何よりもまず、看過できない点は、本件事故により原告道代が被つた衝撃の部位、程度であつて、右事故により、原告道代は、上半身が前かかみになつて倒れ、前部座席の背もたれに両手をついたにとどまり、腹部には直接的に何らの打撃も受けなかつたことは前認定のとおりであり、原鑑定によれば、本件死産児には交通事故を積極的に裏付けるような所見を認めることはできなかつたというのである。もつとも、原告道代本人は、事故後も追突シヨツクの後遺障害が残り、その治療を余儀なくされた旨の供述をするが、これを裏付けるに足りる的確な証拠はなく、右供述はにわかに措信し難いし、また、右事故の際に被害車両に同乗していた者で追突時の衝撃により体をぶつけたり、負傷したりした者はいないこと、右車両は、車体後部に凹損を受けたが、事故後そのまま原告道代の実家まで走行するのに支障がなかつたことは、原告道代の本人尋問の結果によつて認められる(右認定を左右するに足りる証拠はない。)ところである。こうしてみると、医学上のみならず吾人の日常経験則上、右の程度の外力が、果たして、子宮内の胎児の死亡を来たすべき主要な要因たり得るかについては、疑いを差し狭まざるを得ない。

(五)  およそ、不法行為法上の因果関係は、自然科学上の因果関係とは異なり、一点の疑義、反証も許されないわけではなく、科学的見地からの専門的判断を参酌しつつ、帰責判断という法的価値評価の見地から、経験則に照らし、独自にこれを決すべきことは、いうまでもない。この観点に立脚し、前項までに検討したところを総合して考えると、本件事故による衝撃という所与の事実と、分娩前の子宮内胎児死亡という結果の発生との間に、通常人が疑いを差し狭む余地がないほどの高度の蓋然性を肯認することは困難であるといわざるを得ず、むしろ、外力以外の何らかの母体側ないし胎児側の原因が存在し、専らそれによつて、あるいは、それがきわめて有力な要因となつて前記結果が招来されたものと推認し得る蓋然性がきわめて大きいことが明らかである。

3  そうとすれば、原告道代の死産が、右子宮内胎児死亡の必然的な結果にほかならない本件において、右死産と本件事故との間に相当因果関係の存在を肯認することは許されないものといわなければならない。

三  よつて、原告らの本訴各請求は、その余の争点について判断するまでもなく、すでにこの点において理由がないから、いずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 篠原勝美)

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